俳優、モデル、コラム執筆・・・マルチに活躍する松㟢翔平の“超普通だった”学生時代
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俳優、モデル、コラム執筆・・・マルチに活躍する松㟢翔平の“超普通だった”学生時代

Steenz(スティーンズ)

インタビュー連載「あの人に聞く、“私の10代”」。今回、お話を聞いたのは、俳優やモデルとして活動しながら、コラム執筆などでマルチな才能を発揮している、松㟢翔平さん。2019年に人気リアリティー番組『テラスハウス TOKYO 2019-2020』に出演し、その都会的で自由なビジョンが話題になりました。今回は、そんな松嵜さんの10代のころのお話を聞いてみました。

映画に触れて育った幼少期をきっかけに。映像制作に没頭した学生時代

―今日はよろしくお願いします! さっそくですが、松嵜さんはどんな高校生でしたか?

「友達とバスケをしたり、当時付き合っていた彼女とデートをしたり……。ただ、映像を専門的に学ぶ高校に通っていたので、授業の半分は制作だったのと、課題がとても多かったので、基本的には作品をつくっていました」

ーもともと映像に興味があったんですか?

「家の近くに、シネコンやレンタルビデオ屋があったり、映画好きの両親が毎週映画館に連れてってくれたりして、小さいころから映画が身近にあったんです。そのおかげか、気がついたら映画好きになってましたね。」

ーその後、多摩美術大学に進学されますが、それはやっぱり映像を学んでいた延長で?

「それもありますけど、これを学びたいっていうのはそれほどなくて。美大や芸大を目指していたけど、絵を描くのが苦手だったんです。でも、絵のスキルを入学に必要としない学科があって、その中でも、東京藝術大学の先端芸術学科に入りたかったんですよ。藝大の中でも倍率が低くて、10人にひとりは受かるくらいだったので『なんかいけるかも』って……。まぁ、結果的には落ちてしまったんですけどね!」

ーやっぱり狭き門なんですね。

「藝大の入試って、センター試験のあとにあって、発表も最後のほうなんですよ。なので、そこから入れるところが、多摩美の夜間しかなかったんです。僕は浪人する気満々だったんですけど、当時の担任の先生に『松㟢くんは浪人しても絶対に勉強しないから、頑張って多摩美に入りなさい』って言われて、確かにそうだなと。なので当時は、ぼんやりとしたモチベーションで入学しました」

ーそうして始まった大学生活は、実際いかがでしたか?

「夜間だったんで、同級生に社会人がたくさんいるんですよ。入学当初は、25歳くらいの兄貴みたいな人にかわいがってもらいました。大人が出入りするような、渋い場所にもたくさん連れ回してもらいましたね。埼玉出身の僕は、『あーすごいな、これが東京かぁ』みたいなことを思ったりしました。

それから割とすぐに、映画を撮っている先輩たちと仲良くなって、それからの学生生活は、現場でずっと撮影を手伝ってましたね。授業が終わったらすぐに撮影に行ったり、長期休みはまとめて作品を撮ったり……。疲れて授業中に寝ちゃったりしましたが」

ーなんだかエモい大学生活ですね。ちなみに松㟢さんが監督した作品もあるんですか?

「ありますよ。8ミリフィルムで『個人映画』っていうタイトルの短編映画を撮りました。当時仲良くしていたグループの中に年上のお姉さんがいたんです。ある日そのお姉さんの小学生の弟が、お姉さんのひとり暮らしの家に家出してきて、大学にも来てたんですよ。

僕らもその子と夜遅くまで一緒に遊んだり、散歩に連れ出したり、みんなで可愛がっていて。その光景が面白くて、『これを作品にしよう!』って思ったんです。"お姉ちゃんの家に家出してきた小学生が、変な大学生たちに囲まれて過ごす"みたいなストーリーで、オリジナルのキャラクターを作って、そのキャラに、当時僕が言いたかったことをセリフにして全部言わせました。なかなかわがままな作品でしたよ」

ー当時言いたかったことって、どんなことだったんですか?

「社会の教科書に載っているような、歴史の年表ってあるじゃないですか。弥生時代がここにあって、とか、ここで織田信長が何かをして、とか。ただその歴史ってすごく適当だよなと思っていて。『年表には友達の誕生日とか、免許を取得しためでたい日は載ってない。でも、俺にとってはそのほうが重要なんだよ!』みたいなことを言ってもらいました。日本史や世界史より、ひとりひとりの個人史を大切にしたいって思ってたんですよね」

キャラづくりは苦手。自然体を大事にするワケは?


ー10代のときって、友達も大事ですよね。松㟢さんにとって、友達の存在はどんなものでした?

「デカかったですね。小中学生のころは、勉強はできないし、嫌いだったので、友達の存在が学校に行く理由になってました。それに高校に入ってからは、専門的なことを学んでいたので、似たような趣味嗜好を持った友達もたくさんできて。同じような仕事をしてるヤツも多いですし、今でも会うほど仲良いですよ」

ー芸術系の学校となると、個性的な人や独自のスタンスを持った人がたくさんいそう。友達と自分を比べてしまうことってありました?

「比べまくってましたね。僕にとっての全国高校選手権じゃないですけど、『まわりの奴より、絶対にオモロい作品をつくってやる!』みたいな気持ちが活力になってました。友達同士で作品に対する意見をガツガツ言い合ったりして、ちょっと険悪になることも。でも、頼り甲斐を感じてたし、切磋琢磨できるいい仲間たちでした」

ーステキな関係性ですね。ちなみに学生時代、松㟢さんのクラスでの位置づけは?

めちゃくちゃ普通の子でした。特別勉強ができるわけでもなければ、スポーツできるわけでもなく、とはいえ、不良でもなかったし。でも、そもそも当時から"キャラ"みたいなのは、あまり好きじゃなくて」

ーそれには何か理由があるんですか?

「中学のときに、口調も荒くて手癖も悪い、いわゆる不良キャラみたいな友達がいて、そいつが一度、不登校になったんです。

大人たちの説得で学校に戻ってきたけど、ある日の昼休み、校舎裏の月極駐車場に逃げ込んでしまったんです。先生が説得するために追い回したんですけど、ワンワン泣きながら逃げ回って……。

僕はその光景を校舎の4階の窓から見ていた。今の僕だったらそういうこともあるだろうって思うのかもしれないけど、当時の僕は衝撃を受けましたね。自分が持ってたイメージとまったく違う彼がそこにはいた。『あぁ、キャラとかって、ないんだな』、『自分の思い込みって、なんて狭いんだ』って思ったんです。そこから”〇〇キャラ”みたいな括りがあまり好きではなくて」

自身の学生生活を『めちゃめちゃ普通だった』と振り返る松㟢さんだが、専門学校と美大で過ごした日々のエピソードはどれも印象的なものばかり。続く第2回では、台湾での生活のことや、人生の転機になったテレビ番組出演についての話などを伺ってみました。

〜第2回に続く〜

松嵜翔平プロフィール

まつざきしょうへい●1993年生まれ。埼玉県出身。多摩美術大学の在学中から、俳優として活動を始める。2018年7月から8か月間、台湾に移住。帰国後、人気リアリティー番組に出演。現在は東京と大阪の二拠点で、俳優、モデル業を中心に、幅広く活躍中。

Photo:Kana Tarumi
Text:Yui Kato

































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