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水溜りボンド・カンタを動画クリエイターにした3つのターニングポイント

水溜りボンド・カンタを動画クリエイターにした3つのターニングポイント

前回のインタビュー「水溜りボンド・カンタがまだ何者でもなかった『裏で激トガり』な10代を回想」では、カンタさんの学校生活をはじめ、10代をどう過ごしていたかに迫った。ここからは、カンタさんをYouTubeの世界に導いた、「10代でのターニングポイント」について聞いてみた。

インタビューはカンタさんが所属するUUUMのスタジオにて。フォトグラファー・さんのアナログカメラを借りて、眼下の景色をパシャリ。

1.中学での動画制作体験

カンタさんが動画クリエイターになるきっかけとして、10代のうちに3つの大きな出来事があったという。

中学2年のときに、学校の『3年生を送る会』という行事で、オリジナル動画を制作したんです。内容はNHKの『プロフェッショナル』のパロディのような映像だったのですが、僕自身も出演して、撮影も編集も自分で行いました。

まわりにお笑い好きが多かったので、彼らに協力してもらって実現したのですが、将来的に『動画づくりで生きていく』という選択肢が生まれることの原点となったと思います」

ちなみに、このカンタさんの動画が好評を博し、その後、同中学では10年以上にわたり『3年生を送る会』で後輩の自主制作動画を流すという文化が続いているという。(カンタ少年の貴重なデビュー作は、以下のYouTubeで視聴可能です!)

 

 

2.大学お笑いサークルでの運命的な出会い

そしてふたつめの重要な出来事は、青山学院大学への進学直後に訪れた、相方・トミーさんとの出会い。ふたりが初めて会ったのは、お笑いサークルにて。

僕は大学生になってからも自意識が強く、本当はお笑いをやりたいのに、自分からお笑いサークルの門を叩くことはできなくて…。だってそんなことをしたら、『オレ、おもろいで』みたいに思ってるヤツだと思われるかもしれないじゃないですか。

だから、お笑い好きな友人から誘われて、しかたなく参加しました…みたいな顔をしていたんです。で、中学のときと同じように、最初は静かに、安いボケもせず、時間をかけて徐々に周囲と関係値を築いていこう…と考えていましたね(笑)」

そんなカンタさんにとって、新入生歓迎会で目撃したトミーさんは衝撃的だった。

「僕は端のほうの席にいたんですけど、トミーは最初から真ん中の席に座って、先輩たちをガンガンいじりながら笑いを取っていて。『こいつ、目立ちすぎて嫌われたりすること、怖くないのか…』と心配になりながら、その新入生とは思えない立居振る舞いに、衝撃を受けました。自分にはないヤバさを持ってるなと。

でも、だからこそトミーとコンビを組んだら、自分ひとりではできないことができるようになるんじゃないかと思ったんです」

3.キングオブコント準々決勝進出!そして挫折

19歳で運命の相方と出会い、「水溜りボンド」が誕生。YouTuberユニットとしてではなく、お笑いコンビとして、キャリアをスタートさせた。

大学生コンビながら『キングオブコント2014』で準々決勝まで進んだんですよ。悪くないレベルだったとも思うのですが、キャパ300人くらいのホールの舞台に立ったとき、まったくウケなくて。直前までは、2700さんがめちゃくちゃ客席を沸かしていたのに…。プロとの違いを目の当たりにした感覚がありました」

その日、原宿の会場から表参道を通って大学に帰る途中、ふたりは運命の決断をした。

これからはYouTubeをやっていこう、と僕から持ちかけました。すでにHIKAKINさんやはじめしゃちょーさんが活躍していたし、お笑いであの客席を沸かせるには、とにかく武器も知名度も足りない。トミーも『いいね』と言ってくれました。

根拠はないのですが、自信はあったんです。そして『1年やってチャンネル登録者が10万人を越えなかったら、諦めて就職する』というリミットをつくって、YouTubeの活動に集中することになりました」

当時は珍しかった大学生YouTuberコンビの快進撃が、始まる前夜であった。(第3回へ続く)

水溜りボンドYOUTUBEチャンネル

Photo:Aoi
Text:Shu Nissen
Edit:Takeshi Koh

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Ayuka Moriya

エディター

1999年生まれ、秋田県出身。東京外国語大学 国際社会学部在学時よりライター・エディターとして主にインタビュー記事の執筆、ディレクションに携わる。Steenzでは、2021年ローンチ当初より「気になる10代名鑑」のコンテンツ制作を担当。

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