Steenz Breaking News

ルワンダのジェノサイドから31周年。 ルワンダ国内のお店や祝いが禁止される喪活動のKwibukaとは?【Steenz Breaking News】

ルワンダのジェノサイドから31周年。 ルワンダ国内のお店や祝いが禁止される喪活動のKwibukaとは?【Steenz Breaking News】

世の中にあふれる情報から、10代が知っておくべき話題をお届けする「Steenz Breaking News」。今日は、ルワンダで1994年に起きた虐殺を風化させないための追悼活動「Kwibuka(クウィブカ)」について紹介します。

31年前、ルワンダで発生したジェノサイド

1994年4月、ルワンダで当時の大統領が暗殺されたことをきっかけに、フツ族とツチ族が関係するジェノサイド(大量虐殺)が発生しました。正確な数字は明らかになっていませんが、このとき犠牲になったのは、約100日間で50万~80万人とも、あるいは100万人とも言われています。

誰がこのジェノサイドの引き金を引き、なぜ大量の罪もない人たちが犠牲にならなければならなかったのか。その詳しい経緯は、発生から31年が経った今もなお、はっきりとは明らかになっていません。もともとツチ族の王が支配する王国だったルワンダが、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ドイツやベルギーの植民地になったことで、民族間の立場や待遇に大きな差が生じたこと。一方で、同じ民族間でも、北部と南部で高等教育へのアクセスに差別が発生していたこと。ツチとフツの民族間対立が激化したことで、ツチ族が近隣諸国へと避難し、彼らが次第に結束を高めて「ルワンダ愛国戦線(RPF)」という政治的・軍事的組織を結成し、1990年にルワンダへ攻め込んだこと……などなど、長い歴史から影響を受けたさまざまな要素が複雑に絡み合っているようです。

しかし、虐殺の後に国際支援やルワンダ国内での平和的活動が積極的におこなわれたことで、いまやルワンダは、アフリカの中でも比較的平和で治安の良い国として知られています。(ただし、最近はコンゴ国内の紛争の影響を受け、ルワンダの特に南西部国境付近では、治安への警戒情報が出ています)。

国民がひとつになる追悼行事「Kwibuka」とは?

虐殺から31年経ったルワンダでは、現在、毎年4月に「Kwibuka」と呼ばれる追悼行事がおこなわれています。Kwibukaはルワンダ語で「記憶する」を意味し、行事は虐殺が始まった4月7日から100日間続きます。最初の1週間は、各地の記念館などで虐殺に関連するイベントが催され、歌、ポエム、ダンス、劇、ジェノサイドから生き残った人々のスピーチなどがおこなわれます。

また、結婚式などのお祝いごとはおこないません。さらに、犠牲者への哀悼の意を示すために、騒音を最小限に抑えるべく、ナイトクラブやバー、映画、コンサート、ダンス、歌、団体スポーツなどのエンターテインメントが自粛され、公共の場で音楽を流すことも禁止されます。

学校も1週間近くお休みに。「Kwibuka」初日はお店も全て休みとなり、町中の音楽も全て追悼行事に関連する音楽となるため、街全体の雰囲気が変わります。

「赦(ゆる)しの精神」はどこからくるのか

さらに、追悼イベントでは、家族が殺された人とその家族を殺した人が共に話し合う姿も見られます。わたしたちからすると想像もしづらいですが、筆者のルワンダ人の友人は「身近に虐殺のサバイバーや加害者がいるからこそ、虐殺は身近な話題。加害者と被害者が赦し合えるのは、虐殺はルワンダ人ではなく、ヨーロッパ諸国によって引き起こされたという認識が国中に広まっているからだと思う」と、加害者と被害者が同じ場で追悼の意を表せる理由を教えてくれました。

また、友人によれば、歴史や平和教育の授業の中で、虐殺が起こった歴史や、凄惨な歴史を繰り返さない方法などがしっかり話し合われている点も大きく影響していると言います。

さらに、友人は「ガチャチャ裁判」にも言及しました。

ガチャチャ裁判とは、通常の司法手続きをとるのではなく、民衆の意見に基づいて実施される、ジェノサイドの容疑者に対する裁判のこと。容疑者はガチャチャの中で罪の自白や謝罪をし、参加している民衆は判事として、容疑者が服役すべきか、コミュニティに帰るべきかなどを話し合って決定します。これはジェノサイドに関わった容疑者の数が非常に多いために実施された裁判の方法ですが、結果として加害者と被害者の和解を促す機能も果たしていたようです。

加えて、ルワンダでは、毎月「ウムガンダ」と呼ばれる奉仕活動の日があります。ウムガンダの日は、国中の人たちが街の掃除や草抜き、友人の家の建設の手伝い、道の舗装などの奉仕活動をおこないます。ウムガンダは、奉仕活動の後、村ごとにコミュニティで集まり、村のことを話し合う機会にもなっています。

このように、ルワンダでは国民が積極的に平和活動に参加することによって、虐殺を風化させないというはたらきが見られます。日本は終戦から約80年が経ち、戦争経験者の話を聞く機会なども減っています。だからこそ、多くの国民が過去の歴史を風化させずに自分ごととして捉え、次世代へと繋いでいるルワンダから、学べることがあるのかもしれません。

References:
Could the Rwandan genocide have been prevented?Published in Journal of Genocide Research (Vol. 6, No. 2, 2004)
Sacrifice as Terror: The Rwandan Genocide of 1994
治安情報】ルワンダ南西部国境、コンゴ(民)東部と接する地域への渡航自粛について
ガチャチャの開始

Text:Hao Kanayama

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Hao Kanayama

ライター

16歳、初アフリカ大陸上陸。19歳、アフリカ10か国放浪。20歳、ウガンダ移住。ウガンダの現地の会社とNGOの職員として、ストリートチルドレン、シングルマザー、薬物中毒者、孤児の支援を行う。不条理で不都合な世界だけど、その先にある希望を求めて歩き続ける、アフリカの人々の暮らしをわたしの目線から伝え続けたい。少数民族と木登りとテクノがスキ。

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