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ウガンダは「命こそが最高の贈り物。他はおまけ」と教えてくれたから、移住を決めた。【Steenz Abroad】

ウガンダは「命こそが最高の贈り物。他はおまけ」と教えてくれたから、移住を決めた。【Steenz Abroad】

「Steenz Abroad」シリーズ”Hao in UGANDA”。今回は、ウガンダ在住の金山葉織が、なぜウガンダに移住することになったか紹介していきます!

マサイ族の村で確信したこと

最近、中学校の卒業アルバムに「将来は、世界の秘境や少数民族を取材をしたい」と書いていたのを発見しました。思い返すと中学生の時に行ったニューヨークでの短期留学で中東や南米から来た留学生の友だちができたことをきっかけに、わたしの関心は有名な国から途上国へと変わっていきました。

中学3年生の時にカンボジアの孤児院を訪れ、子どもたちの営む農業や、「ないものは自分たちで生み出す」生活を目の当たりにして、それらは「生きること」に直結していて、たくましく、不条理な環境でもありながら、わたしよりはるかかに高い生命力を感じました。

さらに、高校生の時、学校を休んでバックパッカーとしてアフリカを旅しました。16歳の時にNPOのインターンで1カ月間滞在したタンザニアにで出会った、ホームステイ先に帰る道で果てしない地平線上に見えた真っ赤な夕焼け、迷子になった日に出会った子供達の笑顔は、アフリカに住みはじめて長い月日が流れてた今でも、鮮明に覚えています。

そして、マサイ族の村で満点の星空を見ながら「わたしは将来、きっとアフリカ大陸に住んでいるんだ」と確信しました。

帰国後もアフリカと日本をつなぐ団体の設立や、南アフリカのコンサルティングファームでのインターンを経験し、高校卒業後は移住先を決める目的でアフリカ11カ国を9カ月かけて縦断する放浪の旅をしました。

移住先を決める旅へ

ガンビアで12人家族の家に滞在させてもらっていたある日、急にスコールが降ってきました。窓から庭を覗くと、わたしがついさっき手洗いしたばかりの洋服が濡れてしまっていて、すっかり落ち込んでいると、急に子どもたちが庭に集まってきて、雨の中で踊ったり歌ったりし始めました。そして、そんな子どもたちを囲むようにして大人はにこやかに笑っていたんです。

その光景を見て、「幸せはすぐ近くにあって、探し求めなくてもいいんだ」と強く感じました。

東アフリカでは、「命こそが最高の贈り物。他はおまけ。」ということわざがあります。アフリカにいると、まさにその通りだと感じます。正しい表現は難しいけれど、「生きているだけで十分なのだ」という豊かな心の基盤が鍛えられていく気がしています。

そして、ウガンダへ

アフリカ縦断中にジャーナリズムの仕事と音楽フェスティバルへの参加で、何度かウガンダに渡航する機会がありました。ウガンダの首都のカンパラでは、人がごったがえすマーケットやにぎやかなパーティーなど、常に五感が刺激されるほどカオスな光景が広がっています。一方で北部では放牧民が昔ながらの藁と土でできた家に住み、西部では山と湖に囲まれた村で農家や漁師がのんびりと暮らしています。ウガンダを知れば知るほど、わたしはひとつの国の中にパラレルワールドが存在しているかのような生活の多様性に惹かれていきました。その期間に出会った人々は、貧しい村出身のシングルファザーであっても、首都のカンパラで活躍するアーティストであっても、共通して「生きていることを肯定して歓迎してくれる」人たちでした。

わたしが生きていく上で優先していることは衣食住や生活水準の高さではなく、「誰といたいか」です。日本にいた時、日々、満員電車に乗って仕事が優先の環境にいると、自分と向き合う機会はなかなかありませんでした。しかし、彼らとの出会いと人間の生命力を感じることによって、日常で、「生きるとはどんなことなのか」をいつも考えさせられ、感情が豊かになることで、どんな自分自身も肯定できるようになりました。これが、ウガンダを旅行先としてではなく住む国として関わっていくことに決めた理由です。

ウガンダに来て早くも3年がたち、多くの困難に遭い、傷つけられ、泣いた日は数え切れませんが、それでもウガンダにいると生きていて良かったと思う出来事の方が多く、「わたしはこんなにも美しい人びとと土地を知っている」という自信がつきました。

なにより、ウガンダにいる時の自分を好きでいられるからこそ、ここに居続けているのだと思います。

次回はそんなわたしが実際にウガンダでどう1日を過ごしているのかを紹介します。

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Hao Kanayama

ライター

16歳、初アフリカ大陸上陸。19歳、アフリカ10か国放浪。20歳、ウガンダ移住。ウガンダの現地の会社とNGOの職員として、ストリートチルドレン、シングルマザー、薬物中毒者、孤児の支援を行う。不条理で不都合な世界だけど、その先にある希望を求めて歩き続ける、アフリカの人々の暮らしをわたしの目線から伝え続けたい。少数民族と木登りとテクノがスキ。

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