チャンネル登録者数400万人を超える人気動画クリエイターコンビ・水溜りボンド。その活躍はYouTubeの枠を超え、人気ラジオ番組「オールナイトニッポン」では54年の歴史の中で初めてYouTuberとしてレギュラーパーソナリティを担当するなど順風満帆に思えた。しかし、2021年6月のある騒動をきっかけに、カンタさんはひとりで活動することに…。そして12月を迎えたこのタイミングで、ついに相方・トミーさんが電撃復帰。(※ちなみに取材時はまだ復帰アナウンスの前でした)
「あの人に聞く、私の10代」。酸いも甘いも知り尽くした人生のセンパイに、自身の原点である10代のころの話を聞いてみた。
1.無力感を味わった10代の始まり。シカゴにて
小学4年生(10歳)のとき、父親の転勤でアメリカ・シカゴへ。カンタさんの10代は、そんな大きな環境の変化からスタートした。
「転勤の話が出たとき、僕が『海外には行きたくない』と言うと父は『行かない』と約束して、指切りげんまんしてくれました。でも、結局行くことになって。シカゴ行きが決まったときは、ホントに針を1000本飲ませようとしましたね。大量のつまようじを折って、『これを飲んでよ』って。いま思うと相当ヤバい子なんですけど、日本の友達と離れるのがそれくらい嫌でした」
本人は切実に語るが、なんだか動画のネタに発展しそうなお話。YouTuberとしての才能が幼いころから顔を覗かせていたよう。それはさておき、嫌々ながらも渡米し、小学校卒業までの2年間をアメリカで過ごしたカンタさん。当時の思い出は?
「あまり覚えていないのですが、とにかく辛い日々という記憶。最初は言葉も文化も分からない。学校のテストでは英単語を必死に覚えていったのに、“Name”の意味が分からず名前を書けなくて0点を取ったり…。常に無力感を覚えていました。良かったことと言えば、大きな挫折を早い段階で経験できたというくらいですかね。…あ、あと、アメリカで流行り始めていたYouTubeを見るようになったのもこの頃でした。日本にいるより、ひと足早く触れることができたと思います」
孤独な異国での、YouTubeとの出会い。不安と寂しさから公園で空を見ながら泣いてた小学生が、立派な動画クリエイターになるのはもう少しだけ先のお話。
2.カンタ流!学校でのポジショニング術
中学進学と同時に日本に帰国。アメリカで体験した「友達のいないツラさ」を二度と味わうものかと、友達づくりには力を注ぎ、慎重に進めたそう。
「絶対に失敗したくなかったので、最初は悪目立ちしないよう、まずは大人しくしていて。気が合う人と仲良くしつつ、タイミングを見計らいながら、徐々に人気者と話す機会をつくっていきました。
中学のクラスの中心人物って、だいたいお笑い好きで、芸人さんの言葉使いやノリで、人気者だったりしますよね。僕はダウンタウンが大好きだったので、彼らの前でさりげなくお笑いに精通した一面を出して。『こいつ分かってるじゃん』と一目置かれたら、スッと距離を詰める。結果的には、そんな打算なんて関係なく仲良しになれたのですが、振り返るとそんな計算もしていたと思います」
戦略通りじわじわと、しかし確実に周囲からの評価を積み重ねたカンタさん。中3になるころには、クラスの学級委員に(周囲からの推薦で)、そしてバスケ部では部長に(これも周囲からの推薦で)なっていたという。しかしカンタさんらしいのは、入学時に周囲にいたクラスメイトとも変わらず仲良くしていたこと。
「僕は、みんながハッピーでいることが嬉しいタイプ。誰かを犠牲にしたり、嫌な気持ちにさせたりしてまで、自分がのし上がるような発想はありませんでした。だからこそ『こいつが学級委員になったら平和そうだな』みたいな感じで選ばれたんだと思います」
このスタンスは「YouTube界のNHK」とも評される、水溜りボンドの動画づくりにも通じているのだろう。ただし、友達を第一に考えるがあまり、恋愛面ではこんなエピソードも。
「自分で言うのも変ですが、けっこうモテるほうだったと思います(笑)。ただ、中学、高校と、彼女はまったくできませんでした。好きだった女の子から告白してもらえたこともあったのですが、『いま付き合ったら部活の友達にどう思われるだろう』とか、いろいろ考えて断っちゃったり…。今思うと、アメリカで友達がいなかった経験が相当響いていたのかもしれませんね」
もったいない…とも思うが、これも周囲から自然と好かれるカンタさんの人柄が表れているエピソードと言えそうだ。
3.「裏で激トガり」
ここまでの10代のエピソードを辿ると、カンタさんは正統派なリーダータイプの人気者。しかし、懐かしい日々を振り返る中で「実は裏では相当トガッた奴だった」そう。こんな秘密も教えてくれた。
「高校の友達は誰も知らないんですけど、当時『M-1甲子園』に出たくて、相方をこっそりネット掲示板で募集したことがありました。しかも『優勝できるネタはもうあります。それが欲しい人は連絡ください』っていう強気すぎる書き込みで。普段は引っ込み思案のヤツが(笑)。
それで、連絡をくれた初対面の高校生を、新宿の吉本興業の隣の神社に呼び出して、やったこともないのに、ネタ合わせをして。かなり失礼な話ですが、『コイツ、違うな』と思って、それ以来会いませんでしたけど」
周りの目を気にする性格でありながら、好きなことに挑戦する気持ちは抑えられない。そんな板挟みの中で起こした「裏での行動」だったのだろう。しかし、この相反するふたつの性格の絶妙なバランスが、その後もカンタさんの人生を緻密かつ大胆に突き進めていくことに…。(第2回「水溜りボンド・カンタを動画クリエイターにした3つのターニングポイント」へ続く)
Photo:Aoi
Text:Shu Nissen
Edit:Takeshi Koh