「学校に居場所がなかった」プロスケーター・岩澤史文の10代はスケボーに救われた
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「学校に居場所がなかった」プロスケーター・岩澤史文の10代はスケボーに救われた

Steenz(スティーンズ)

インタビュー連載「あの人に聞く、“私の10代”」。今回お話を聞いたのは、プロスケーター、動画クリエイターとして活躍する岩澤史文しもん(SHIMON)さん。

21万人の登録者数を抱えるYouTubeチャンネル『MDAskater』で、スケーターのライフスタイルや、途上国にスケボーを広めるプロジェクト『SkateAid』 の活動を配信し、スケートカルチャーを日本に根付かせるアクションを続けています。今回はそんなSHIMONさんの、スケボーと共に歩んだ10代のころのお話を聞いてみました。

いじめを受けた小学校時代。スケボーが居場所をくれた

ーさっそくですが、SHIMONさんのスケートボードとの出会いはいつごろですか?

「小4のときです。当時はドイツに住んでいて、まわりの子がみんなスケボーを持っていたんで、おもちゃのスケボーを親に買ってもらったんです。 でも、その時点ではあんまりハマらなかったんですよ」

ー本格的にのめり込むようになったのはいつですか?

「小6のときにドイツから日本に帰国してからですね、そのときは、学校で軽くいじめられていて……。6年生って、もうクラスの雰囲気もノリも固まっているから、外国から来た異物みたいな扱われ方をされてしまって。友達もできなかったし、ハブられていた。だから、学校には居場所がなかったんです。

ードイツと日本で、環境もマインドも大きく違いますよね。

「そうですね。それで学校に行かなくなった僕に、親が『家にいるくらいなら、スケボーでもやってくれば』って声を掛けてくれたんです。それがきっかけでスケートパークに行くようになりました。

スケートパークにはいろんな人がいて、見た目や年齢、スキルは関係なしに『スケボーが好き』っていう気持ちがあれば、誰とでも友達になれる。好きなものが同じだから、みんな目線がフラットですし。そのとき孤独だと思っていた僕にとって、そんなコミュニティの居心地が良かったんです。

だから、スケボーが楽しくて、というよりも、あの場所にいたくて通い続けました。結果、スケボー自体も上達していって。どんどんスケボーにハマっていきましたね」

ーそこから中高一貫のインターナショナルスクールに入学されたんですよね。学校生活はいかがでした?

「インターに入学してからは、友達もできたし、まわりも自分と似たような考え方の人も多くて、楽しかったですね。今でも会っている友達もいるし、今一緒に会社をやっている仲間とも、そのとき出会いました。

勉強面だと、うちの学校は社会問題に関する授業が多かったんですよ。いま、僕が社会に目を向けて活動をしているのは、その影響もあるんじゃないかな。とはいえ、決して真面目なタイプじゃないので、『進学できればいっか』くらいのモチベーションで取り組んでいたんですけど(笑)」

ーずっとスケボーは続けていたんですよね?

「スケートパーク以外にも、学校っていう居場所ができたので、スケボーをあまりやらない時期もありました。

でも中2くらいから、YouTubeにスケボーのチュートリアル動画を載せ始めて。当時はテクニックの解説動画は少なかったし、あっても海外のスケーターの動画ばかりだったから、日本語でやったら面白いかもって始めたんです。5人くらいのスケート仲間と再生回数を競い合って、『俺の動画、200回再生いった!』みたいな感じで。

それがだんだんガチになって、IT系の詳しい学校の先生に、YouTubeの再生回数を伸ばす方法を聞いたり、ヒットしやすいワードを見つけたり、いわゆるSEOみたいなことを意識したりするようにまでなりました。常に頭の中にはスケボーがあるような状態で、そこから今まで、スケボー漬けの毎日を送ってきましたね

スケボーは競技や遊びじゃなくて、ライフスタイルそのもの

ーなるほど、それでYouTubeでの発信を始めたんですね。

「当時、海外で自分の日常を動画で発信するVlogが流行り始めたくらいの時期だったんです。世界の反対側にいる人のライフスタイルが見られるのが面白いなぁと思って、僕もテクニックの動画じゃなくて、ただスケボーするだけの1日を配信したりするようになりました。

それもあって、スケボーを"アクティビティというよりライフスタイル"として強く意識するようになったんです。

出かけた先にスケボーができる場所があるかもしれないから、ボードは常に持ち歩くし、まわりの友達もみんなスケーターだし。気付けばスケボーを軸にライフスタイルを組み立てていたんですよね。僕の隣にはいつもスケボーがあるんです」

ースケボーにどんどんハマっていくSHIMONさんに対して、家族の反応は?

「基本的には、僕のやりたいことを何でもサポートしてくれる両親だったので、スケボーのやりすぎで成績が落ちても『勉強しなさい!』みたいなことを言われた経験は、一度もないです。

父から教えられたのは、たった3つのルール。『友達を大切にすること』『挨拶をすること』『他の人に負けないことを1個だけ得られるように努力すること』。それだけを守ってました。

改めて考えると、友達を大切にすることと挨拶をすることは、やりたいを実現させるときには仲間が必要だから、自分の属するコミュニティを大事にしてねっていう意味が込められてたんじゃないかな。これは今の自分に活かされている、すごくいい教えだったなと思います」

ー素敵なご両親ですね。大学卒業後も、スケボーを軸とした活動で生きていくことを決めたときも、応援してくれたんですか?

「大学を卒業するとき、まあ普通だったら『就職はどうするんだ』とか『就職したほうがいい』とか言われるかもしれないですけど、それもまったくなくて。両親は『自分たちくらいの年齢の人間よりも、学生のほうが社会の現状に詳しいから、自分で考えたほうがいい選択ができるだろう』みたいなスタンスで。だから、好きなスケートを軸に活動していくことも、もちろん否定されませんでした。

それに、いまは18歳で成人になるわけだから、親がどうこう言ったりする立場でもないと思うんですよ。18歳以降は、自分で全部責任とって、いろんな選択をすればいいんじゃないかなって、僕は思います」

好きなことをやり続ければ、それがアイデンティティに

ーSHIMONさんにおけるスケボーのような、アイデンティティとなるものを見つけられない10代もいると思います。何かアドバイスはあります?

「10代のいいところって、時間はたくさんあるけど、背負うリスクは少ないことだと思うんです。スキルとか知見が少ないぶん、失敗することはあるけど、手を差し伸べてくれるサポーターもいるはず。だから、気になることにはとりあえず手を出してみて、何か好きなことが見つかったら、思う存分時間を使って、追求してみればいいのかなって思います。

アイデンティティって、探そうとして見つけるのは難しいと思うんです。無意識のうちに好きなことをやっていて、そのライフスタイルが自然とアイデンティティなるんじゃないかな

学校に馴染めなかった過去、そしてスケボーと共に歩んできた現在までをじっくり語ってくれたSHIMONさん。続く第2回では、日本のスケートシーンの現状や、海外でのアクションについて、お話を聞いてみた。

岩澤史文プロフィール

いわさわしもん●1998年生まれ。大阪府出身。ハンガリー、ドイツ、日本育ち。中央大学商学部卒。プロスケーター 。YouTuberとして『MDAskater』を運営し、スケーターのライフスタイルや東南アジアにスケボーを広めるプロジェクト『SkateAid』での活動を配信。オリジナルアパレルブランド『SHIMON』も運営している。

Photo:Goku Noguchi
Text:Yui Kato



















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