
まさかわたしが浮気をされるなんて、思っていなかった。信じたくなかった。傷ついて、「自分の幸せとは何なのか」とはじめて考えた。それをこれから恋愛をするみんな、すでにしているみんなに、伝えたい。
わたしは一人ひとり長く付き合ってきたタイプなんだけど、そんな中で気づいた事がある。それは「嘘つきと女癖の悪さは治らない」ということ。
何度期待をして、何度信じ直したいと思ったか。でも人間、たった数ヶ月、数年で変わるはずがない。たったひとりの女のために変われるのであれば、そもそも浮気なんて存在しないと思うのよね。
期待は終わりの始まりだったのかもしれない
恋は盲目。好きになってからでは手遅れだ。
冒頭で「期待」という言葉を使ったけど、期待をしはじめた時点で、少しずつ関係は終わりに向かっているのかな、と思うの。信頼があればふたりの間に期待なんて必要ないと思うから。
次こそは直してくれるかもしれない、同棲したら変わってくれるかもしれない…..こんな優しい期待から始まって、いつしか、わたしのことを好きならきっとこうしてくれる!という形に変わっていく。
相手を試すようになったり、伝えてもいない気持ちを察して欲しいとか思うようになったりしてしまう。「わたしのこと好きならちゃんと考えて行動してよ!」ってね。
その期待は、たぶん、不安から起こっていたんだと思う。つまり、わたしは信じて裏切られるのが怖かった。
あの頃、わたしは自分の幸せじゃなくて『幸せだった頃』ばかり見ていた。彼の浮気を知る前の楽しかった時間、何気ないデートの時間、不安や疑心に囚われていなかった時間。戻ってこない時間に想いをはせて、またあの頃に戻れたらいいのに、と泣いていた。一方通行な思いの先に幸せなんてものはなくて、お互いがお互いを想いあってこそ、幸せなのだと思う。
「信じたい」と思いはじめた時点でひとつの恋は終わりを迎えていたのに、泣き腫らすわたしの目に映っていた大好きだった彼との日々を終わらせる勇気なんて、わたしにはなかった。
でもいま思えば、無理に相手を変えようとするなんて傲慢だなと思ったりもする。自分が許せないことを当たり前にやってしまう人とは、そもそも価値観が合わないのだと思う。
そして、ふたりの関係を終わらせる勇気も、大切だと思う。いま、終わらせたくなくても、自分自身の幸せのために。いつか終わる関係であることに気づいているなら。『もしかしたら、彼が変わってくれるかも』そんな期待をしなければ、わたしはあんなに泣いていなかった。それが答えだと思うのです。
傷ついて気づいたわたしの「幸せ」
いまのわたしに『信じたい』という気持ちは無い。それは、常に疑うことなどなく、当たり前のように2人の間に『信頼』があるからこそだと思う。不安に支配されることもなく、のびのびと、あるがままに相手を好きでいられること。これ以上の幸せがあるのだろうか。そんなふうに最近思えるようになったんだ。
2度と恋なんてしないって思っていた。あれからしばらく経って、ようやく信じても良いと思える人に出会えた。人生はもしかしたら捨てたものではないのかもしれない。
今もしも、あの頃のわたしのような子がいるのなら伝えたい。
気が済むまで別れなくたっていいの。彼と別れないといけないことを自分が1番わかっているはずだから。でもあなたのために変わってくれようとしているなら、あなたはそんなに泣いていないと思うの。自分を大切にすることと、ふたりの関係を大切にする事が混同しないように。
『相手がいること=自分の幸せ』ではないからね。忘れないでいて。
恋に悩めるみんなに、わたしに、幸あれ!!
Edit:Himari Amakata