
22歳、東京の郊外でぽけ〜っと暮らす、音楽ナードの渡辺青が日々のDIGりの中で出会ったさまざまな「これ聴いて!」な音楽たちを、新旧問わずに紹介していく企画「渡辺青のこれ聴いて!」。今回は渡辺青の人生レベルのフェイバリットであり、80年代のポストパンクシーンに鮮烈なアルバムとEPを数枚残し解散してしまったバンド、Young Marble Giantsを紹介します。
静かすぎて落ち着かない朝

この1年間、家の目の前のマンションで解体と建設の工事をしていて、毎朝騒音で起こされるという苦行に耐えていた。今月に入ってようやく工事が落ち着き、それはそれは嬉しくてたまらなかったのだが、今朝、なぜかたまらなく不安な気分になっていた。
5分くらい考えた末に、ようやく自分の不安感の理由に気づいた。工事の音がしないのだ。1年間『ギギギギ』とか、『ドドドド』みたいなインダストリアルサウンドに身を置くことに慣れきっていたわたしは、久々に感じる無音の朝に、かえって落ち着かなくなってしまっていたのだ。
慣れとは恐ろしい。わたしたちは知らないところで、気づかぬうちにいろんなことが変わっていくのにも関わらず、生活の上でそれに気づけることは多くない。このままではいけない! と自分を律するために反射的に音楽をかける。そんな時に聴きたいのが「Young Marble Giants(以下、YMG)」なのである。
ポストパンクって結局なんなのさ?

たとえばPiL(Public Image Ltd)がレゲエとパンクを組み合わせたように、Talking Headsがディスコからの影響を受けたサウンドでNYキッズの腰を揺らしていたように、はたまたノイズと狂気をぐちゃぐちゃに掛け合わせて音楽を作ってみたりしていたアート集団Throbbing Gristleがいたりしていたように、ポストパンクというジャンルを追いかけて勉強をしようと思うと、そのあまりにもな多様さに「てかつか結局何なのさ?」という結論に至ってしまうわけだ。
パンク・ロックの死後、DIY精神と実験性を称え、未完成さすら良さとされていたポストパンクという時代。ひと口にその音楽性を語ることが難しいせいで、態度としての音楽ジャンルと論じられているようにも感じる。そして、その「態度」としてのお手本、あるいは完成形の一つにYMGという存在がいるのではないかと思うのだ。
みんなが右を向くならば、逆に左に向いてやろう

同じリフをひたすら繰り返すギターとベース。可愛らしい声ながら、無表情なボーカル。そして彼らの友人のお手製リズムボックス。
時たま、ヒヤッとするサンプリングが入ってきたりするものの、アルバム『Colossal Youth』はそのほとんどがこの4つだけで構成されている。1曲が大体2分にも満たない短さで、突如バツっと終わる曲も多い。どこまでも静かで、淡々と進んでいくアルバムに、どこがポスト「パンク」なんだよ……。と思う人もいるかも知れないが、一旦待ってほしい。
古今東西、数百年前から昨日作られた世界中の曲までがほとんど聴き放題の現在では特段珍しく聞こえないかもしれないが、当時、この引き算は革命的ではなかったか?
同世代のミュージシャンが皆足し算ばかりしていた時に、YMGはその逆をやってのけた。削ぎ落とし続けたのだ。みんなが右を向くならば、逆に左に向いてやろうという気概のあるバンド。その意識こそ彼らのいちばんカッコ良いところで、この静寂が、この一本調子が、あまりにも革命的に聴こえてくるのだ。YMGのベーシストであったフィリップは、後に「音楽を書くとのと同じくらい、空白を書くんだ。」という言葉を残している。
事実、彼らの唯一のアルバムである『Colossal Youth』は1980年のUKインディーチャートで最高3位を記録し、ニルヴァーナのカート・コバーン(彼はThe Raincoatsの再発見者としても有名)など、多くの著名なアーティストに影響を与えたと言われている。
今だからこそ刺さる、ギクリとする歌詞

ひどく冷たく、荒涼としていながらも、時に牧歌的な響きが共存する音世界。その鋭さはリリースから45年以上たった今も、20代の音楽リスナーであるわたしの心を掴んで離さない。むしろ、今だからこそ刺さるものがあるのかもしれないとすら思う。
『Eating Noddemix』という曲では、部屋の内と外という舞台装置の中、平穏な日常と悲惨なニュースが交互に、粛々と歌われる。
「曇った浴室を見ながらミックスナッツを食べる」
「人々が走り回り、高層ビルが崩れ落ち始める。」
「彼女は唇を丁寧に拭う』
「記者達はパッドとペンを手に取り現場に急行する。カメラは血みどろの光景にウインクし、編集者達は同意する」
「彼女はお化粧をする。時計をちらりと見て、次にネイルを塗る」
この曲に出てくる「彼女」は、わたしではないか?
それはこの1年、工事の音に慣れきってしまったように、部屋の外、もしくは学習されたアルゴリズム外で起こっていることへ無関心になりがちな自分たちのように思えてゾッとする。
YMGの歌詞は、失恋の痛み(『N.I.T.A』)から、核戦争への不安(『Final Day』)まで、隣に座った他人の心情を覗き見しているような、内面的な雰囲気に満ちている。若いころの彼らが描く心情は、時代も国も違くても、わたしを共感させ、時にギクリとさせる。
輝き続ける単純明快さ

アルバム1枚、EP2枚のみと、たった数年間の活動期間に撮られたYMGのライブ映像を見ると、
そこからは身体性の欠如、もしくはそれを意識的に排除しているかのように見えてくる。
ただあるものを流すだけ。とにかく冷めた3人組。よくリズムを外さないね? と感心するほどボーカルのアリソンは常に棒立ち。そしてチェーンスモーキング。ここでもただ淡々とライブは進んでいく。
周りがラウドになっていくのなら、逆に静かにしてみよう。結果的に、そんな単純明快なアンチ性こそが未だアルバムに輝かせ続けているように感じて、そんな所にわたしは痺れてしまう。そういえば、YMGを初めて聴いた日に、ポストパンクという巨大な山が少しだけ理解できたような気がしたのだ。
いつも別の方法を考えること、当たり前を疑うこと。実験的であること。
Young Marble Giantsの音楽から聞こえてくるそんな感覚こそ、ポストパンク的スピリットと言えるのではないか?
日々のルーティーンによってぼ〜っとした脳みそを静かに刺してくるような彼らの音楽は、わたしにとってちょっとしたカンフル剤なのだ。
引用:
COLOSSAL YOUTH (& COLLECTED WORKS)ライナーノーツより引用
・彼らの友人お手製のリズムボックス。
・YMGのベーシストであったフィリップは、後に「音楽を書くとのと同じくらい、空白を書くんだ。」という言葉を残している。
・「Colossal Youth」は1980年のUKインディーチャートで最高3位を記録
・『Eating Noddemix』歌詞
Kurt Cobain on Aerosmith and Young Marble Giants
・ニルヴァーナのカート・コバーン(彼はThe Raincoatsの再発見者としても有名。)など、多くの著名なアーティストに影響を与えた
ザ・レインコーツ──普通の女たちの静かなポスト・パンク革命より引用
・(彼はThe Raincoatsの再発見者としても有名。)
Edit: Himari Amakata
Writer: 渡辺青






