Fasion&Culture

「選択肢がなかった」モデルで編集長の山本奈衣瑠がギャルだった10代を告白

「選択肢がなかった」モデルで編集長の山本奈衣瑠がギャルだった10代を告白

20歳でスカウトされてモデル活動を始め、『NYLON JAPAN』『GINZA』などの雑誌や、東京コレクションや東京ガールズコレクションなどのファッションショーで大活躍。事務所から独立後は、女優として映画やCMにも多数出演。さらに2019年からは「選択できる個人を増やすこと」を目指すフリーマガジン『EA magazine』編集長として、社会派な顔も見せている山本|奈衣瑠《ないる》さん。彼女の生き方やマインドに惹かれ、SNSをフォローしている10代も多い。

そんな独自のポジションを築いた彼女が、本シリーズ「あの人に聞く、私の10代」で、10代のために、知られざる過去を語ってくれた

山本奈衣瑠。1993年東京生まれ。

1.「なんで?」と思うことが多かった10代

「自分らしいメイクでお越しください」とお願いしたが、当日現れた山本さんはスッピンだった。聞けば「リップもつけてないんです。普段メイクってほとんどしなくて」とのこと。「でも10代のころは、『egg』『Ranzuki』『Popteen』が大好きな、メイクの濃いギャルでした。あ、ギャルは今でも大好きなんですけどね」と意外な過去を振り返り始めた。

「私の地元は…わかりやすく言っちゃうと、治安が悪いと世間に思われているような場所です(笑)。中学生のときは、自転車盗んで乗ったり、フードコートで大きな声で喋りながらツバ吐いたり…っていう人たちが、周りに当たり前にいました。私も含めて、親が離婚している子も多くて、授業中に電話がきて、熱が出た弟や妹を迎えに行くためにクラスメイトが帰っていくというのも日常。その日の食べるお昼ごはんがなくて、自分で働いたバイト代で食べ物を買わなきゃいけない人も少なくなかった。『体入』(キャバクラの体験入店)っていう言葉を当たり前に使ってたりして…。

あ、苦労自慢をしてるわけじゃないんです(笑)。それぞれに大変な部分や、抱えている闇もあったと思うけど、『まぁ、こうして今日みんなで楽しくお昼ごはん食べられてるからいいよね』って過ごしていました。ちゃんと恋愛もしていたし」

あくまで中学・高校時代は最高に楽しく「治安とかお金の問題は全然気にならないほど、JC・JK生活を謳歌していました」と話す山本さん。ただ、大人たちとはぶつかる経験も多かった。

「見た目も派手だったし、学校の先生やバイト先でも、他の人と同じことをしていても、私だけが厳しく注意されるということは多かったんです。納得できないときは一歩も引かずに言い返してて、いま思うとそうやって自分の心を守っていたのかな。

当時はまだいろんな偏見が強くあって、ギャルだけじゃなく、アニメとかゲームとかが好きな、いわゆる『オタク』みたいな人たちも、大人たちから不要な圧を与えられていた気がします。『なんでいけないの?』と、納得できないときは、他人のことまで首突っ込むタイプだったので、ずっと大人とバチバチやってる高校生でした(笑)

2.高校卒業後はフリーターに。「就職で一生が決まるなんて嘘」

そんな高校時代にも、終わりがくる。卒業生の大半が就職する環境の中で、山本さんはフリーターの道を選んだ。

「就職も進学も決めないまま卒業したのは、たぶん学年で私だけだったと思います。でも、このまま流れ作業のように就職して社会人になることは怖い、っていうのを本能的に感じて。それまで、団地に住んで地元の学校に通って、旅行する機会もほとんどなく、子供のころから同じ友達とずっと一緒にいる。似た境遇の友達といるのは心強かったし、お金もなくて勉強もできないから、そこから脱出する方法がなかった。まぁ当時は『脱出する』という選択肢があることすら気付けてなかったですよね。

それで、高校を卒業する今こそ、ひとまず好きなことだけをやってみよう、行きたい場所に行ってみよう、って。そのときはSNSも普及してないから情報が圧倒的に少なくて、『絶対に違う世界があるはず』って確信があったわけでもないのですが」

心のままに動いた山本さんは「結果的に、好きなものや興味のあるものが、自分を新しい世界に連れて行ってくれた」と振り返る。ただし、地元を飛び出した山本さんが原宿で声を掛けられてモデルの道に進むのは、二十歳になってからのお話。

「高校卒業後2年間くらいは、興味のあるアルバイトを転々としていましたが、就職した友達たちの様子を横目に見ながら、不安を抱えていましたね。だって高校の先生に『社員とフリーターでは生涯年収がこんなに違って、老後にもらえる年金もこんなに違う』みたいな話をしつこくされていたから。

いま考えたら、たとえ就職したって、そのあと一生同じ場所で働くことのほうが稀だってわかるし、実際に就職した友達たちも2、3年したら辞めてたんですけど。でも『あ、そんなもんか。人生焦らなくていいんだ』って気付くまでは、悔しい思いもたくさんしました。

あのころ大人たちから聞いた話って、半分くらいは無意味だったんじゃないかな〜、って思うんですけど、限られたコミュニティで必死に生きていた当時は、すごく重要な話だと信じ込んでいたんですよね。でも、ハッキリ言います。就職で一生が決まるなんて嘘。だから『心配しないで大丈夫』って、当時の自分や同じような状況の人に言いたいんです」

3.10代には「選択肢があるんだよ」と伝えたい

山本さんが立ち上げた『EA magazine』。テーマを「選択できる個人を増やすこと」とし、多様な立場の生き方を見せる雑誌にしたことは、彼女の10代での経験が大きく影響している。

「『EA magazine』は、『自分と同じような人の力になりたい』という想いで立ち上げました。今の若い子は、私たちのときよりSNSで情報が拾えると思うけど、何が本当かを見極めるのはとても難しいし、逆に嘘の情報も増えちゃってるとも思う。『EA magazine』で私は、10代のころと同じスタンスで、『なんで?』と思うことから目を逸らさず、分からないことをいろんな人に教えてもらいながら、等身大で、いろんな価値観を発見・発信しています。

正直なところ、過去の話をするのは恥ずかしいですけど、でも、同じような10代を過ごしている方に、『誰にでも、いろんな選択肢があるんだよ』というメッセージが届いたら嬉しいです」

届けたい想いがあるからこそ、自身の過去を包み隠さず話してくれた山本さん。そして、この10代のころの生き方によって、現在の強力な武器を手に入れられたそう。次回は、そのあたりの話を中心に聞いてみることにする。(第2回に続く)

Photo:Aoi
Text:Tomoka Uendo
Edit:Takeshi Koh

SNS Share

Twitter

Facebook

LINE

Ayuka Moriya

エディター

1999年生まれ、秋田県出身。東京外国語大学 国際社会学部在学時よりライター・エディターとして主にインタビュー記事の執筆、ディレクションに携わる。Steenzでは、2021年ローンチ当初より「気になる10代名鑑」のコンテンツ制作を担当。

View More