
こんにちは。2025年9月からフランスに留学しているMireiです。
わたしが1年間パリの言語大学で学んだひとつのまとめとして、今回から2本の記事では「なぜ、わたしたちは言語を学ぶのか」という問いについて考えてみたいと思います。
最初に夢中になれた言語
実は、わたしは英語が得意ではありません。
そう言うと驚かれることがあります。いまは言語大学に留学していて、この連載でも言語についてたくさん書いているのに、特に中高生のころは、「英語を勉強しなさい」と言われるのが嫌いでした。でも、そんなわたしが10代のころ、唯一夢中になれたのがフランス語でした。
ところが、わたしがフランス語を勉強していると、「まず英語をやりなさい」「受験に必要だから」「将来役に立つから」と何度も言われました。当時のわたしは、好きだから勉強しているだけなのに、なぜ英語だけが特別扱いされるのだろう、同じ「言語」なのになぜそこに優劣があるのだろう、とずっと不思議でした。そしてなんだか悔しく思っていました。

マイナー言語に惹かれた理由
その後もわたしは、英語以外の言語ばかり学ぶようになりました。英語は異なる言語話者をつなぐ共通言語として世界中で話されています。もちろん、そういった意味で英語は魅力的でしたが、わたしは少し珍しい言語を知ったときの「他の人がまだ知らない世界を覗いているような感覚」がたまらなく好きで。みんなが知らないことや、ニッチなことに詳しい人って、なんだか魅力的じゃないですか(笑)。
「こんな発音をする言語があるんだ」「こんな表現が存在するんだ」という発見を独り占めしているような感覚が、たまらなく楽しかったのです。だからわたしは、ひとつの言語を極めるというよりも、いろんな言語を少しずつつまみ食いするように学んできました。

言語は世界の見え方を変える
パリの言語大学、国立東洋言語文化学院(INALCO)で、世界中の言語を学ぶ人たちと出会い、言語は単なるコミュニケーションの道具ではない、ということを改めて強く実感しました。例えば、日本語ではひとことで表せない感情を表す言葉があったり、ある民族の言語には自然との関係性がそのまま文法に組み込まれていたりします。言語を学ぶたびに、新しい価値観や世界観に出会うことができます。
だからわたしは言語を学ぶたびに、「話せる人が増える」というより、「世界の見え方が増える」感覚があります。
それでも英語は避けて通れない
そんなわたしも最近、少し考え方が変わりました。大学で論文を読むとき。研究をするとき。何かを深く知ろうとするとき。英語が読めないと、そもそも入り口に立てない場面が本当に多いのです。
いままでのわたしは、言語は「好きだから学ぶ」でした。でもいまは少し違います。特に英語を学ぶ理由は、「自分が知りたいものにアクセスするため」です。英語そのものが目的ではなくなりました。その先にある知識や人や世界に触れるための鍵として学んでいます。
ただ、いまでも英語だけは「完璧に話せなければならない」というプレッシャーがあります。きっと、多くの人が学校で評価され続けてきた言語だから。多くの場所で「できて当たり前」と思われている言語だから。だからわたしはいまでも、英語を話すときがいちばん緊張します。本当はそんな風に感じたくないんですけどね(笑)。
なぜ、わたしたちは言語を学ぶのか
仕事のため。旅行のため。研究のため。理由はいろいろあります。でもわたしは、言語を学ぶ理由はもっと単純でもいいと思っています。
好きだから。知りたいから。その先に誰かがいるから。どんな理由であっても、ひとつの言語を学ぼうとする瞬間、気かぬうちに、その言語を話す人々の世界観を擬似体験することができると思います。次回は、言語を学ぶことの歴史や文化的な背景から、この問いをもう少し深く掘り下げてみます。
巴山未麗(Mirei)のプロフィール
東京都出身。フランス・パリの言語大学に留学中の大学4年生。言語がとにかく大好きで、留学先の大学ではウォロフ語を専攻する他、ビスマラ語、マラガシ語、シンハラ語なども学んでいる。






