
今回の”Hao in UGANDA”は、私がアフリカ各国を旅して見た衝撃的であった文化について紹介します。
名前も知らない新郎新婦の結婚式によくお呼ばれされる
私がアフリカ各地を旅した中で、多くの地域で経験したこと。それは、名前も知らない新郎新婦の結婚式に招待されるということです。
私がエジプトに滞在中、エジプト人の友人に、その友人の友人の友人が結婚式を挙げるからと招待されたことがありました。会場は外から見ても賑やかさが伝わるくらいで、中に入ってみると、数えきれない数の参加者。

数百人が集まって、お祭り騒ぎ。私のテーブルは新郎新婦の顔がやっと見えるか、見えないくらいの位置で、そのかわり、前方の巨大なスクリーンに新郎新婦の顔が映し出されていました。

日本の結婚式のように新郎新婦がスピーチをするといった感動的な空間とは異なり、会場には常に爆音で音楽が流れ、参加者は踊ったり喋ったり食べたり。
でも、実はこのようなお祭りのような結婚式はアフリカの多くの地域にあり、新郎新婦のことをよく知らない人も参加しているなんてことはよくあります。なぜなら、そもそも兄弟姉妹が多いから親戚やその親戚、友人まで呼ぶと大人数になる上、それぞれの参加者が勝手に友人を連れてきたりすることもあるからです。

また、ほとんどの地域では、参加者が必ずしもご祝儀を贈るといった必要がないため、参加者も参加しやすいという側面もあります。新郎新婦にとっても「たくさん来てくれた方が祝福されるし楽しい」と考えられており、大勢で楽しく祝う文化が表れています。
今でも歴史が語られる処罰の島
ウガンダの西部にはいくつか湖が存在します。そのうちのひとつ、ブニョニ湖には29の島があり、大自然が美しく私のお気に入りの地域です。この日、私は湖の全体像が見られるホテルから景色を眺めていたのですが、その時に友人から聞いた話があります。

29の島のうち、最も小さな島はアカぺネ島と呼ばれるのですが、その島には別の名称が存在します。その名も「Punishument island」(処罰の島)。
ウガンダ人には広く伝わる話で、友人によると「アカぺネ島はかつて未婚で妊娠した女性が捨てられた島」と言います。今から70〜150年前、未婚で妊娠するのは恥であり、妊娠が発覚すると、妊婦の女性は兄弟や父親によって船でアカぺネ島に運ばれ、置き去りにされたと言います。
アカぺネ島は数人がやっと寝られるほどの極小の島で、食べられる植物なども全く存在せず、多くの妊婦がここで飢え死ぬか、泳いで帰ろうとして溺死したと言われています。
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唯一助かる方法は、相手側の男性が牛などの婚資を払って女性と結婚することです。しかし、貧しい男性は婚資を払えず、多くの女性が犠牲となったのです。
しかし、ブニョ二にはアカぺネ島で置き去りにされたものの、生き残った女性が今も存在します。彼女は12歳の時に妊娠が発覚し、アカぺネ島で4日間過ごした後、偶然通りかかった漁師によって助けられました。後にその漁師と結婚し子宝にも恵まれたそうです。
近年、アカぺネ島は侵食され、2本の木とわずかな草が残るだけです。しかし、今でもその歴史は広く語られています。
現金が舞うシエラレオネ
この日、私はシエラレオネで友人の姪の誕生日会に呼ばれ、私たちは姪家族が集まる海沿いのレストランに向かいました。姪は9歳になったばかりで、可愛らしいドレスを身に纏い、プリンセスのような姿で現れました。

大人数が集まり、ご飯を一緒に食べ、ケーキが運ばれるまでは、よく見られる誕生日会だったのですが、その後、姪はステージに上がりカラオケをし始めました。「アナと雪の女王」を歌い始め、大人は歓声を上げます。すると、歌い途中、大人が立ち上がり、カバンから現金を出すと、なんと、姪にその現金を撒き散らし始めたのです。

数えきれないほどの現金が姪の頭上から舞い、床はお金でいっぱいに。一瞬で富豪や王族を彷彿とさせる空間になりました。
シエラレオネの通貨価値は深刻なインフレと長引く経済的苦境によって非常に低く、買い物に行く時は「握る」ほどの札束を持っていかないといけないため、大人が多くのとてつもない量の現金を持ち歩いています。とはいえ、これは衝撃的な光景。

後々、なぜ現金を撒き散らしたのか友人に聞いてみると、「共同体全体でその人が祝福されていることを理解できる」意味があるようです。これは、シエラレオネだけでなく、西アフリカでたまに見られる文化で、起源はナイジェリアのヨルバ族の文化とも言われています。
現金を撒き散らすのは誕生日だけでなく、歌手や新郎新婦に対してすることもあるそう。祝福だけでなく、富の可視化という意味もあるようです。
日本では一般的にお金を見せびらかしたり、お金の話を大体的にしたりしないため、驚くべき文化でした。
アフリカ各国の文化に衝撃を感じるのは私が日本人としての文化を経験してきたから。異文化を認識したり理解したりすることは同時に、自分自身のアイデンティティを感じる過程でもあると感じました。






