
世の中にあふれる情報から、10代が知っておくべき話題をお届けする「Steenz Breaking News」。今日は、アフリカで戦禍を生き延び、紛争の悲惨さや喪失を作品で表現するアーティストを紹介します。
「世界で最も売れた画家」が描く母国の紛争
2024年、アートオークション市場に関する調査をまとめた「ヒスコックス・アーティスト・トップ100」に、コートジボワール出身のAboudia(以下アブディア)の名前が挙がりました。いま世界で最も多くの作品が売れたアーティストのひとりなのだそうです。
アブディアは、1983年にコートジボワールの小さな街で生まれました。学校の美術コンテストで優勝すると、父親の反対を押し切り、15歳で美術学校に通い始めました。当時はとても貧しく、学校の教室で寝泊まりをしていたと言います。
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2010年にはコートジボワールで内戦が勃発。50万人以上が家から追い出されたそうです。紛争下にある4カ月間、アブディアは地下のシェルターに避難しながら、地上で目の当たりにした内戦の恐ろしさを描き続け、21の作品を制作しました。作品には、暗い顔をした子供や武装した兵士、道路に落ちている頭蓋骨などが描かれています。
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コートジボワールの労働階級の街にある落書きからインスピレーションを受けたという、彼の作品。国内外の芸術愛好家や収集家から賞賛され、2018年には、ロンドンで504,000ポンドで作品が販売されたほど。同年にはコートジボワールのストリートチルドレンとアーティストを支援するためのAboudia財団を設立しました。
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スーダン紛争で失ったものを表現するカメラマン
スーダン出身のカメラマン、ハシム・ナスルは、故郷の紛争を伝えるために、歯医者からカメラマンの道を選びました。ナスルはコロナのパンデミックの間に友人をモデルとして写真を撮ることを始めました。紛争が始まる以前は花に覆われた人やハートなどをモチーフとしていたハシム氏。2023年に紛争が勃発すると、避難する人々やスーダンが失ったもの、そして抵抗を作品で表現するようになりました。以来、流血やトラウマ、喪失を表す赤い生地がモチーフとしてよく使われています。2024年には、東アフリカ写真賞を受賞しました。
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国連の発表によると、2023年以降、少なくとも330万人以上がスーダンを離れ、ハシム氏の親族も含めておよそ800万人以上が国内避難民となりました。スーダンの悲惨な状況について、SNSやニュースでの報道が不十分だと感じていたハシム氏。作品の中で、戦争への抗議、喪失や亡命といった多くのスーダン人に共通した記憶を表現することで、母国の現状を世界に広めるという意図もあるそうです。
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ディアスポラの視点で母国を思う画家
最後にご紹介するのは、エリトリア出身の画家、フィクレ・ゲブレエサスです。彼は、エリトリアとエチオピア間の30年間の戦争が勃発した1年後の、1962年に生まれました。1978年、通っていた学校が戦争の影響で閉鎖されると、彼の家族はスーダン、イタリア、ドイツを経て、アメリカに到着しました。
アメリカでシェフをしながら美術学生連盟で絵画を学んだのち、母国の教会やモスクの図像、エリトリアがイタリアの植民地となった際に建設されたイタリア建築などの影響を受けながら、作品をつくり続けました。
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作品には、家族で過ごした喜びの日々の中に、戦車で兵士が侵入してくる様子など、彼が経験した戦争から逃れ移住する激動の日々、それによる喪失や孤独、悲しみが描かれています。
2012年に50歳で心臓発作で急死したゲブレエサス。彼が残した800点以上に及ぶ作品は、生前にはほとんど展示されることはありませんでしたが、死後に賞賛を集めました。
戦争によるトラウマを抱えながらも、世界に母国で起きたことを知ってもらうため、恐怖心に向き合って作品をつくり続けたアーティストたち。みなさんも、彼らの作品や、作品を通して伝えようとしているアフリカの国々の紛争の状況について、調べてみてはいかがでしょうか。
References:
BBC「The artist ‘not surprised’ to be a best-seller」
The Guardian「‘Painting was my final act of defiance’: how a chef from war-torn Eritrea wowed the art world after his death」
The Guardian「From dentist to artist: how a Sudanese exile turned to photography as an outlet for trauma」
Text:Hao Kanayama






