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スカートの中を見られたらどうしよう⋯⋯。「日本一スカートが短いアイドル」が、求められるアイドル像との矛盾と向き合った10代。元アンジュルム・和田彩花が考えた「自分らしさ」とは?【前編】

スカートの中を見られたらどうしよう⋯⋯。「日本一スカートが短いアイドル」が、求められるアイドル像との矛盾と向き合った10代。元アンジュルム・和田彩花が考えた「自分らしさ」とは?【前編】

「日本一スカートが短いアイドル」としてデビューし、アイドルとして10代の大半を駆け抜けた和田彩花さん(31)。現在は、フェミニズムに関する発信や音楽活動など、多彩な表現で注目を集め続けています。

アイドル時代の葛藤から、価値観を大きく変えるきっかけとなった美術との出会い、アイドル業界の構造への問題意識、表現者としての現在地、そして“これからの生き方”まで。その内側にある想いをじっくり聞ききました。(前後編の前編)

—さっそくですが、まずはアイドル時代の活動について聞かせてください。そもそも、アイドルになったきっかけは?

「両親が『うちの子は可愛いから!』って理由で、幼い頃から私を色々なオーディションに連れていっていて。10歳のとき、たまたま受かったのがハロー!プロジェクトだったんです」

—ご両親の勧めだったんですね。ちなみに当時はどんな子供でした?

「木登りしたり、川遊びしたり、ひとりで葉っぱの色や木漏れ日をみて、色々な想像を膨らませたり……。不思議ちゃんとか、天然って言われることも多かったです。

内気な性格もあったから、正直、芸能界にはあまり興味はなかったんですけど。

だから、事務所に入った当初は『中学生になったら辞めよう』くらいのモチベーションで、地元の群馬から東京に通いながら、遊び感覚で楽しんで取り組んでいましたね」

—そこから15歳でデビューされますよね。意識はガラッと変わった?

「はい。そこで『あ、もうこれ、遊びじゃやってられない』ってことに気がつきました。

街を歩いてるだけでも、自分たちが載っている雑誌や看板を目にしたり、ファンの方々だけじゃなく、一般の方にも声をかけてもらったり……。当然、もう辞められる状況ではなくて。そこからは本気でやらないといけないんだって、意識がガラッと変わりました。

デビューして3年間くらいのことは、忙しすぎてあまり覚えていないんです。目の前のスケジュールをとりあえずこなすみたいな状態でしたね」

—自然のなかで育った内気な少女が、多忙なアイドルに。ギャップを感じることは?

「でも、普通の生活に戻りたいとは思わなかったんですよ。というのも、学校生活よりも、アイドル活動の方が個性を活かせたタイプだったから。

当時周りから言われていた”天然”とか”不思議ちゃん”みたいなところが個性として受け入れられて、自然体のままで無理なく活動できていたんです」

—では、アイドルや芸能界には向いていたんですかね。

「でも、今振り返ってみれば、当時のわたしの価値観ってアイドルっていう環境のなかで築かれたものだったから。ある意味、そこを疑うことがなかったというか……。

アイドルの世界って物事の良し悪しがすごくはっきりしてるんですよ。笑顔でいること以外は許されなかったり、子どもながらに、会社の方からは『責任が伴う仕事をしているから、社会人として振る舞う必要があるんだよ』って指導を受けたり。

”やりたいこと”よりも”やらなければいけないこと”を優先するのが当たり前の価値観としてあったんです。

それにわたしは自我が芽生えるのも周りの子よりも遅い方だったから。10代後半までは、その価値観が全てだと思っていましたね」

“アイドル”に求められるものに縛られて

—10代後半から芽生えた自我というのは、どんなものだった?

「それまでは『アイドルとしてみんなを喜ばせる』って信じて活動してきたけど、心の中では、なにか矛盾が生じていることに、徐々に気がつき始めて。」

—その矛盾はどんなものだった?

「たとえばデビュー当時、私たちは『日本一スカートが短いアイドルグループ』というキャッチフレーズでデビューしたので。当然ミニスカートを履いてパフォーマンスをすることもよくあったんです。

でも、自分自身が大人になっていくなかで『スカートの中を見られたらどうしよう』って不安とか、自分たちよりも年齢が上の男性ファンに対して『なんでこういうことをしないといけないんだろう』って疑問を抱くようになって……。

そもそも『なんでアイドルってこんなに女の子らしさを求められるんだろう』って考えるようになったんです。

—いわゆる”アイドル像”というものに疑問を抱きはじめたということですか?

「そうですね。年頃の女の子だと、大人になる過程で赤色のネイルやリップに挑戦したり、髪色を明るくしたり、自己表現したくなるじゃないですか。でも、アイドルとしては大人びることは求められないし。

どんなに体調が悪くても、インフルエンザにでもならない限りは、ステージに立って、常に笑顔でいなければいけない。

こういう”アイドル像”に縛られることが徐々に息苦しくなって。

大半の子は当たり前に受け入れていることだと思うんですけど。私には、何事もなかった顔をし続けることが、できなかったんです」

反抗して感じた絶望感

—そこで辞めるという選択には至らなかった?

「どちらかというと、そういうアイドルの世界を「変えられる」って、本気で信じていたんですよね。

だからこそ、周りの大人の方々にめちゃくちゃ反抗してました」

—具体的にどんな反抗を?

「意見書を作って、スタッフの人たちに配ったり……。

『メイクがダサすぎるからどうにかしてほしい』とか、ライブのセットリストも『これじゃあ、私たちは表現できないから変えてほしい』とか、逐一マネージャーさんに、自分たちの”やりたいこと”と、”やりたくないこと”をとにかく伝えていました」

—何か変化はあった?

「とはいえ、やっぱり会社の空気とかルールって、なかなか変わらない。身近な大人は共感してくれるんですよ。でも、もちろん偉い人たちにはわたしたちの意見は通らないんです。

それに気がついたときは絶望的な気持ちになりましたね」

—そんな当時の和田さんの救いになったものはあったんですか?

「ちょうど同時期にアイドル活動と並行して、大学で美術史について学んでいたんです。

美術史って画家の人生を追いながら、当時の歴史的背景を照らし合わせて、いろんなことを考えていく学問なんですけど。

まさに、画家の人生を追うことが、私に救いになったんです」

—共感できる部分があったんですか?

「それまで私にとってのロールモデルみたいな存在がいなくて。

そもそも私自身、表現したい性が”女性”なのか”男性”かも曖昧で。清楚な女性にもなりたくなかったし、異性にも媚びたくなかった。でも、強気なままでいるつもりもなくて、弱い部分があってもいいと思っていたんです。

色々な自分が混在していたから、アイデンティティを築くうえで、迷いや不安を感じてしまって。

ただ、大学に進学して、好きだった美術について勉強するようになって。画家の人生を追ううちに『自分はこういう人になりたい』って理想が少しずつ見え初めたんです」


(後編(11/30 12:00公開)につづく)

今回お話を伺ったのは⋯⋯

和田彩花(わだ あやか)さん

1994年8月1日生まれ、群馬県出身。詩と言葉のアーティスト。

2019年ハロー!プロジェクト、アンジュルムを卒業。アイドルグループでの活動経験を通してフェミニズム、ジェンダーの視点からアイドルについて、アイドルの労働問題について発信する。音楽活動ではオルタナポップバンド「和田彩花とオムニバス」、ダブ・アンビエンスのアブストラクトバンド「LOLOET」で作詞、歌、朗読等を担当。実践女子大学大学院博士前期課程美術史学修了しており、美術館や展覧会についての執筆やメディア出演なども行う。

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Yui Kato

エディター

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