複数のストリートブランドを展開するアパレル会社「yutori」。2020年にはZOZOグループからの出資を受け、現在は11ブランドを展開中。そのSNSフォロワーは累計100万を超える。
そんな中、3月1日にWEBサイトをフルリニューアルし、新たなミッションを発表。「TURN STRANGER TO STRONGER(ハグレモノをツワモノに)」というメッセージが打ち出された。(新たに「F-LAGSTUF-F」のyutoriグループ参入も発表)
今回、代表取締役CEOの片石貴展さん(28)のインタビューをするにあたり、このメッセージに込めた想いを尋ねてみた。そうすると「僕自身も、昔ははぐれ者だったんで」と、過去について話してもらえることに。シリーズ「あの人に聞く、“私の10代”」、今回は高校時代に学校に馴染めず、神奈川から原宿に通い詰めていた、ひとりの「はぐれ者」のストーリー。
高校時代は「社会に擬態したはぐれ者」
2018年のyutori創業当初から「世の中に、自分のことを好きだと思える人を増やしたい」という発信をし続けている片石さん。自身では、昔から自分を好きだったのだろうか。
「高校時代を振り返ると……好きじゃなかったですね。コンプレックスの強い高校生だったと思います。ひと学年に160人いる神奈川の進学校で、成績がビリから10番目ぐらいだったんですよ。自信のなさの裏返しで、いつもツンツンしてるというか、否定的なコミュニケーションをとってしまっていたかなと。
私服の学校で、みんな大人しめな服を着てる中、僕とまわりの友達だけ、超ハデなカッコをしていて。ワル目立ちして『あいつイタいよね』っていう立ち位置だったかなと思います。古着も、当時は相当マイノリティだったし。尖ってて、『サブカル不良』って感じだったのかな」
「それでも同調圧力に屈することもあって、自分では『社会に擬態したはぐれ者』と思っていました」と、当時を振り返る片石さん。学校という場所については、こう思っていたそう。
「昔、甲本ヒロトさんがインタビューで『学校のクラスなんて、電車の車両と同じ』って言ってたんですけど、まさにその通りで、ただ乗り合わせただけ。偶然一緒になっただけなのに『みんなが同じでなきゃいけない』っていう雰囲気があって、本当にイヤだと思ってました。
部活だってそう。俺は中学で辞めたけど、絶対入らなきゃいけないって、すごい古いですよ。たしかに部活を通して学べることもあるだろうけど、それって間接的な学び。自分の場合は、バスケ部で『才能がないことを間違った努力の仕方をしても成果が出ない』と学んだけど、そんなの、本当にやりたいことをやっても学べるじゃないですか」
居場所は原宿。古着にハマったワケは?
学校には馴染めなかったが、古着を目的に足繁く通っていた原宿で過ごす時間は楽しかったそう。そもそも古着を好きになった理由は?
「カート・コバーンが好きで……とか言いたいですけど、とにかく雑誌が好きで、その影響です。読みまくってましたね。当時はサロンブームで『CHOKiCHOKi』とかが全盛期だったし、古着文化もとても魅力的に見えました。
学校にも服好きな友達がいて、そいつらと毎週のように神奈川から原宿まで出て、古着屋に行って。『HR』とか『Samurai ELO』とか、雑誌のストリートスナップに声をかけてもらうこともあって、それも楽しみにしていました」
原宿に通っていく中で、さらに「服」にハマっていった。強く惹きつけられた理由は?
「ファッションの何が楽しいかって、好きなものを通して、世代とか育ちとか関係なく、いろんな人とコミュニケーションをとれるところ。『好き』っていうピュアな感情が、人と人の間の境界線を溶かすんですよ。例えば、10コ上の人とか、タトゥーがめっちゃ入ってる人とか。学校で普通に生活してたら会えない人たちと、原宿では話せて。世界が一気に広がっていく感じがしたんです。
特に通ってたのは『ミキリハッシン』って店。尖ったファッションの人たちがよくそこで買い物をしているっていうのを、ストリートスナップ誌の『TUNE』で知って。ちょっと怖かったけど行ってみたら、店員さんはすごい優しかった。毎週1、2時間くらい話をして、いろいろ教えてもらってましたね。
ANREALAGEとかFACETASMとか、いま、東京デザイナーズブランドのど真ん中にいるようなブランドの、初期の荒削りなアイテムが置いてあったんですよ。『反骨精神とかをこういうふうに表現することもできるんだな』と、はぐれ者である自分にも可能性があると、自己受容につながる経験ができたと思います。当時知り合った人たちと、いま一緒に仕事できたりしていて、すごく嬉しいんです」
10代の「はぐれ者」たちへ
改めて、先日打ち出したyutoriの新ミッション「TURN STRANGER TO STRONGER.(=はぐれ者を強者に)」という言葉について。10代のとき「はぐれ者」だと感じていた片石さんは、いま、自分のことを「強者」と思っている? そう尋ねると、謙遜する気配もなく、こう返ってきた。
「思いますね。僕のことを昔から知ってる人からも『やってることが変わらないよね』って言ってもらえることが多いんですけど、ブレずに何かを突き通すってことって、すごく難しい。突き通せた強さ、突き通してきたことによる強さ、それが自分にはあると感じています。
そんな僕だからこそ、このミッションを掲げて、一緒に働く仲間を集められるし、服を買ってくれる人たちにも、そういうメッセージを届けられると思っています」
では、10代の「はぐれ者」にメッセージを送るとしたら?
「好きなことがあって、のめり込んでいて、まわりから『イタい』とか思われてたら、もうそれだけで素晴らしい。すごくポジティブなシグナルだよ、って。
そういうはぐれ者が持つ、世の中とのズレや熱量から、yutoriはできてるんですよ。“COOLよりFOOL”。事業規模が大きくなっても、そういうスタンスを忘れずにいられたらと思っています。恥ずかしい、クサい、汚い……そんな気持ちを大事にしながら、一緒に『はぐれ者の勇気』を見せていきましょう、って言いたいですね」
高校時代を振り返りながら、yutoriの原点となる熱い想いを語ってくださった片石さん。続く第2回では「SNSネイティブ」である10代に対する想いについて聞いてみた。
Photo:AoiText:Daiki IdoEdit:Takeshi Koh