二十歳のときに『ミス青山コンテスト2015』でグランプリに輝き、その後ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で女優デビュー。さらにその3年後、所属していた大手事務所を辞め、自ら起業。
シリーズ「あの人に聞く“私の10代”」、今回は、起業家・山賀琴子さん(27)を迎える。華々しい実績を掴み取りながらも、一か所にとどまらず、常に自分にとってベストな選択を追求してきた……その歩みの起点となる10代のころの話を聞いた。
大切なことは、少年マンガから教わった
華々しい経歴。モデルとして見せる凛とした表情。孤高なオーラを放っている山賀さんだが、話してみると印象が大きく違う。
「よく勘違いされるんですけど、昔から男勝りで、お調子者キャラなんですよ。ミスコンに出ていたときも、もっと遡れば、中学・高校時代も。仲のいい友達と集まったら、下着姿で踊ったり、ラップをかましたり(笑)」
その人格形成には、家族構成も影響しているよう。
「上に兄がいるので、物心ついたときから。家にある少年マンガを読み漁ってたんです。おかげで、大切なことのほとんどは、マンガから教わりました(笑)。わがままなくらい、猪突猛進に生きるスピリッツも、そこから来ている気がします。マンガってすごいですよ。
学生時代に影響を受けたのは『スラムダンク』。王道ですが、安西先生の『諦めたらそこで試合終了です』がMYベストシーン。井上雄彦先生がいたから、諦めない心を持った今のわたしがいると思っています」
失敗はあっても、挫折はない
女優として注目される中、起業家へ転身するなど、大胆な決断をしてきた山賀さん。変化を恐れないその姿勢のルーツを聞くと、10代のはじめの経験について、話してくれた。
「小5のとき、イギリスに短期留学したんですが、これが人生観に大きな影響を与えてくれた体験で。30以上の国から、肌の色も髪の色も、文化も価値観も違う女の子たちが集まっていて、教室には誰ひとり、同じ人なんていなかった。世界の広さを実感して、『こうあるべき』というルールなんて、本当は存在しないっていうことを、幼いながらに知ったんです。
だから、周りから見ると『異例』って思われるような行動をしているかもしれないんですが、そもそもレールなんてないと思っているので、それに縛られたこともないんです」
さらに、広い世界を見たことで、失敗への恐怖心も薄まったという。
「地球上には、いろんな生き方をしている人がいる。そう考えると、自分の挑戦なんて、いい意味でちっぽけに思えてくるんですよね。たとえ失敗したって、次に活かせばいい。だから怖がることはない、って。失敗はたくさんしてきたけど、挫折したことはないんです。
他の人から見るとリスキーな判断であっても、それをためらわずにできちゃうのは、そんな考え方が根底にあるからな気がします」
いつも第一志望校は不合格に・・・10代の一大イベント、受験を振り返って
自ら進む道を選択し続ける生き方は、10代のころからだった。とはいえ、すべてが思いどおりにいったわけではない。特に受験には、複雑な思いもあるそう。
「中学、高校、大学と、3回受験を経験しましたが、第一志望校に合格したことが、一度もないんですよ。大学も、元々は早稲田志望で。高校まで北海道にいたから、『いろんな人がいそうだな』と魅力的だったし、身近で尊敬する年上の友達も行っていたので、憧れがあって。
中学はイギリスの学校に行きたかったんです。英語もできないのに飛行機に乗って、現地に受験しに行って。当然受かりませんでしたけど(笑)。今でも、『10代に戻れるならもっと勉強して、海外の学校に行きたい』と思うくらい。でも一応、受けたことは違いないので『チャレンジすればよかった』という後悔はないのが、私らしいのかなっていう気はします」
結果、道内の女子中学に入学し、厳しい寮生活を送ることに。
「中学が厳しかったので、高校は自由な公立校に行きたくて。でも合格したのは、私立の進学校の特進コース。部活は禁止、休日も登校して勉強……と、全然自由になれなくて(笑)。
それに、クラスには真面目な人ばかりで、眉毛を整えたり、ピアスを開けたり、エクステで急に髪が伸びたりしているのは私だけ。だから、男子からは『山賀さん、怖い』って思われていたようでした(笑)。高校を卒業するまで、恋愛もまったくでしたね。
……こう振り返ると、なかなかハードな青春ですね」
10代のころから、芯のある強い心は持ちつつも、すべてが順調に、自らの意志どおりに過ごしてきたわけではない……そんな過去を語ってくれた山賀さん。続く第2回では、大学時代、そしてミスコングランプリ前夜の話を聞いてみる。
Photo:Aoi
Text:Yui Kato
Edit:Takeshi Koh